旅行・地域

2014年11月12日 (水)

アッカー湖での休暇

毎年恒例5家族での山歩きは、今年は10月末に

オーストリアのアッカー湖。
我が家からは2時間半で到着する。
湖を取り巻く山々、湖を走る観光船。
山に登れば、秋の紅葉と雲一つない青空、そして
10月末だというのにたくさんの雪。
去年、同じ仲間で出かけたのは夏のこと。
その時は、水着着用での山登りで、川の浅瀬を歩いたり、
足がとわないところは泳いだりしながらの山登り。
今年は、膝まであるような雪の中を歩いたり、
なぜだかいつも過酷な山登りになるのに、
とっても楽しい。
7歳のトントンは、20〜25人の団体の先頭チームに
いつも陣取っていて、どこにそんな力があるのだろうと
思うくらい元気。
最年少5歳のルックは、短い足で大変なのに、ズボンや
靴下が雪でびっしゃんこになっているのに、泣き言一つ
言わずに最後まで頑張った。
9歳のシクランは、雪合戦も15歳前後の仲間と混じって
一人前に戦う。
たくましく育つ我が子の成長を確認する、いい機会でもある。

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2014年9月25日 (木)

夏休みの最後に

今年の夏休みは7週間と、いつもよりちょっと長いものだった
ようだが、旅行の予定もなく、夏休みも終わりというその時、急遽、
9月16日の新学期開始を前に、3泊でキャンプをすることになった。
行きたかったオーストリアの世界遺産、ザルツカマーグートは
天気が悪いことがわかり、太陽を求めて、行き先を南チロルへと
急遽変更。
キャンプ場を利用するというのが、最大のポイントで、行き先は特に
大きなこだわりもなかったし、予約不要なため、フレキシブルに対応
できたことが、吉となった。
子供達にも、パルメにも、初めてのキャンプ場体験。いい思い出作りと
なりました。

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2013年9月 9日 (月)

レーゲンスブルクの別の顔

今日は、毎年9月の日曜日にある、文化財オープンデイでした。
ヨーロッパ各地で、行われる行事ですが、普段立ち入る事のできない建物が、
無料公開され、ガイドツアーなどで見る事が出来るんです。

レーゲンスブルクは、この行事に、結構力が入っていて、色々な教会や、
重要文化財となっている建物などが公開されます。

45分くらいのツアーが、街の至る所で開催され、にぎわいます。

私は、今年は、ユダヤの銀行家が1899年に建てた建物を見に行きました。
ネオバロック様式に、アールヌーヴォーや、ロココなど、外装・内装ともに、
色々なスタイルが組み込まれている建物でした。

レーゲンスブルクは、栄えていたのは、11世紀から14世紀のこと。
13世紀から15世紀の家が、旧市街にはたくさんあります。

私が今日行ったのは、旧市街のすぐ西隣で、その近くには、19世紀に
建てられた、豪華な建物がたくさんありました。ガイドのおじさんは、
お話が上手で、大切な情報がぎっしり。有意義なときを過ごしたあとは、
そのおじさんが教えてくれた通り、そこの通りの19世紀に建てられただろう
建物を少し眺めて帰りました。なんと、その500mくらいの道の両側に、
ぎっしりと、素敵な建物が並んでいるのです。

普段、見慣れていない建築スタイルが、これだけ集中しているので、
ここをゆっくり散歩するだけでも、とっても楽しめます。

今日は、レーゲンスブルクについて、別の側面をしっかり勉強することが
出来ました。

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2013年8月22日 (木)

旅行に行ったよ

ドイツの地図を見ると、南東にちょっと飛び出た場所に、
ヴァーギンガー湖というのがある。オーストリアのザルツブルクから、
車で35分くらいのところ。
我が家からだと、その湖までは、大雑把に3時間の距離。

そこに、カクタ君の親友が住んでいるので、遊びに行く事になった。
というか、本当は、数泊どこかのキャンピング場で…と思っていたところ、
長男トントンが、フェリックスの所に遊びに行きたい、といいたのを
きっかけに、直前に約束をとりつけ、遊びに行って来た。

観光地。夏休み。たくさんの旅行者でにぎわう小さな街。
友達の家は、とっても大きく、ゲストルームというか、ダイニングキッチン、
寝室、トイレとシャワーが、全部お客さん用にある。
そこに泊めてもらうわけだから、直接宿泊料もかからない。
食事も、3食友達家族と一緒。

そこの家族はとってもいい家族。子供達も我が子3人、相手の3人。
相手の一番したの子は、まだ2才で一緒に上手には遊べないけど、
男の子同士、女の子同士が、それぞれ気が合い、飽きる事なく一緒に
遊んでいる。お父さん同士も話が弾む。

川瀬で遊んだり、湖でほぼ1日過ごしたりと、のんびりとした、でも
楽しい3泊4日の旅行でした。

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2013年8月 6日 (火)

アルゴイ地方に行きました

のどかな山。牛の放牧がさかんな所、に山登りに行きました。
宿泊したのは、国境を越えて、オーストリア領の山小屋。
総勢25名で、4泊、自炊です。

これは、ミュンヘンの大学で地質を勉強した、カクタ君の仲間と
その家族が、毎年、時期と場所を変えて出掛けるイベントで、
今年で11年目。我が家は、シクランが6か月のときが初参加で
今年で8回目。

地質に興味を持つ人の家族、ということは、普段から
自然に親しむタイプの人ばかり。お父さん達は、無人島でも
生きて行けそうな人ばかり。

今年印象に残ったのは、川の瀬歩き、岩登りを含め、4回程
15〜20mを泳ぐものが混じり合ったコースです。
荷物は、防水リュックがあれば最高ですが、我が家は持っていない
ので、何度かバケツリレー状態。

うちのルックが最年少4才で、ロッククライミングのベルトをつけ、
カクタ君が手をつないで歩きました。その次に幼い5才の男の子も
そうですが、時々命綱もつけてもらいました。なんせ、途中に険しい岩
があるし、川の浅瀬とはいえ、時々は大人でも脚が届かなかったり、
水の勢いが強かったりするからです。

6才のトントンも、泳げなくはないですが、まだまだ心配なので、
よそのお父さんが、いつも助けてくれました。他にも、仲間の
お父さんや、10〜14才のお兄さん、お姉さん達が、必要に
応じて、手を差し伸べてくれました。

8才のシクランは、おてんばさん。手のひらに吸盤がついている
かのように、岩のぼりもお手の物だったようです。泳ぐほうも
大丈夫。

大人でも泳がないといけない場面では、リュックサックを
ロープとD管でこちらからあちらにリフトのように送り届けたり。
途中、3分の2くらいが水につかったり。

水着は一応着ているものの、その上に洋服を着ている状態。
服を着たまま泳ぐのは、パルメは生まれて初めてでした。

気温は35℃程で暑いのですが、水はとっても冷たく、足だけ
なら気持ちいいものの、腰くらいまでつかると、長い間水中に
はいたくない状態。泳ぐときは、水の冷たさに対して
勇気が要ります。男性陣は、水中に立ちっぱなしで、女子供
の助けをしたりするので、大変です。

それにしても、我が子も本当に頑張った。恐がりもせずに。

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2013年6月12日 (水)

大洪水

パルメがドイツに来たのは、2002年12月。
その年の8月には、654cmの水位を記録した大洪水があったそうだが、
今年は、先週660cmにまでその水位が上がった。

パッサウは500年以上ぶりの大洪水、
レーゲンスブルクでは、130年以来の大洪水だそうだ。

高速道路も洪水により遮断された地域もある。
レーゲンスブルク内も、ドナウ川に隣接して平行した道路は、
通行止めとなっていた。

幾日も、警察、消防などがサイレンとともに、町中を走り抜ける
状態が続き、バスも、旧市街内は、迂回しての運行。

先週火曜日、そんな中、午前と午後、2回町に出かけたパルメ。

朝10時の時点では通れた橋が、正午頃には、通行止めとなっていた。
有名な石橋そのものは大丈夫だが、野次馬でごった返していた。

午後、バスで子供達を連れ、旧市街内に乗り出したパルメ達。
ドナウ川の近くの細い道に水が流れ、通行止めになっていたり、
ドナウ川沿いの窓には、仮の堤防が設置され、更に、そこからポンプで
くみ出された水がドナウに戻されていたり。

自宅でメールをチェックすると、旧市街内に住む友達が、自分の無事
を伝えるメールや、隣人の被害状況などの報告が…。
英語の授業に出ると、先生の息子さんがパッサウに住んでいて、
下の階に住む友達が避難しに来て、着るものを貸してあげているとか。

日本人の友達でも、大きな被害を受けているだろうと思われる人がいるが、
気にはなるものの、連絡しづらい。

それ以前にも、我が家の近所では、ドナウの支流レーゲン川沿いの公園
あたりは、全て通行止め。レーゲン川沿いの自転車道が通行止めと
なるのは、それほど珍しいことでもないが、それでも、今回は、並々ならぬ
状態。

高速道路関連の地質担当を仕事とするカクタ君は、レーゲンスブルクより
被害の大きな町の高速道路で、水が引いたら調査に行かないと
いけないらしい。

6月24日の聖ヨハネスの日まで売り出される季節の野菜、白アスパラガスや、
5月末から6月に上旬にかけてが旬の苺も、今年は大打撃。それ以前も
寒かったから、苺刈りに行くなんて、夢のまた夢なのだろうか。

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黒い森に行ってきました (余談)

トントンに噛み付いたのは、本当は悪い犬ではないのです。
トントンも、犬の背中をなでただけで、悪い事はしていないようです。
実は、思い当たる理由があるのですが、それは私達夫婦が、
事件の1時間ほど前に、犬の目の近くにかみついていたツェッケ
という虫をとってあげようとしたから、犬側としては、私達を警戒
していたのかもしれません。
 

最初、病院の相部屋にいた男の子は、口の下、顎というのでしょうか、
皮膚を突き抜けて穴が開く事故があったための入院でした。

それは、おもちゃの眼鏡のフレームの端が刺さったとのこと。
ふざけていたとはいえ、怖いことです。
しかも、数日後、化膿してから病院に来た、というのには、驚き。

休暇後、幼稚園に行ったら笑われる、と心配するトントン。
黒い森で、オオカミと戦って負傷した、とか、熊から弟を守るために
戦って負傷した、と言えば、と提案したのに、幼稚園の皆の前では
正直にお話をしたようです。

退院前から、すっかり元気を取り戻し、トントンらしく手加減なく
思いっきり遊んだり仕事をしたりするトントン。

退院後、宿のベッドで目覚めたトントンに、夜中気になっていたことを
話し、謝りました。

あのとき、ママは、落ち着いて、ということばかり言って、
怖かったね、大変だったね、ということは、一切言わなかったね。

ごめんね。怖い思いをしたトントンの気持ちを癒すことを忘れていたのです。

それにたいし、「いいがん」
(注)これは、実家の米子弁かな、トントンの答えは、本当はドイツ語でした。 

強いトントンが、もっと大好きになりました。 

あの、怖い瞬間、ドアの向こうに立っていたトントンも、もちろん泣いては
いましたが、とっても勇敢な男の子でした。手術の時も、入院中も、
とってもとってもたくましく、立派な男でした…。
手術をしてくれた先生も、トントンをたくさん褒めてくれました。
 

退院後、ピザを食べたかったトントン。
月曜日だったので、あいにくどこのピザ屋も休み。
今まで一度も食べた事ない、スーパーの冷凍ピザを半分も平らげました。 

手術後、まだ頬が腫れているときだったのでしょうか。(病院でのこと)
「ママ、ほうき!」
と言われ、理解に苦しみました。
「ママ、好き!」
と、本人は言っていたのに、ほっぺたが上手にうごかないのが災いしてか、
はっきり発音出来ていませんでした。 

「トントン、ほうき!」
と返したパルメと一緒に笑って、頬が突っ張ってしまったね。
痛い思いをさせてしまった、ごめんね。

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黒い森に行ってきました (その3)

一方、天気に恵まれず。寒く、雨がちでした。5月下旬なのに、雪も
降りました。その間、ルックの熱も下がりましたが、パルメがトントンと
一緒に病院生活、カクタ君と残りの2人は、あまり観光らしいこともせず、
毎日、数時間を病院で過ごしました。シクランやルックにも気の毒な
休暇です。もちろんカクタ君にも…。
そんな旅行なんて、楽しくありません。
 

休暇中の病院、最初は病棟は満員で、相部屋でしたが、週末には
ほとんどの子供が退院していきました。

相部屋の子供は、うるさく、夕方2時間の手術を終えたトントンが
病室に戻っても、大騒ぎ。
 

病室に戻ったトントンは、自宅から持って来た、そして手術室にも同行
した、ペンギンのぬいぐるみの他に、緑の手術用の衣装を身に着けた
テディベアが胸元にいました。これは、病院からのプレゼントです。
 

手術前、食事が取れないトントンの前では、パルメも何も食べられ
なかったのですが、遅く、そして非魅力的な病院食をそそくさと食べました。

トントンの麻酔が冷めるまでにしっかり睡眠を…と思うのですが、なかなか眠れず。
22時頃、やっと同室の男の子が寝静まると、軽い眠りにつきました。
トントンの麻酔が切れかけたのか、少し動きかけると目が覚め、
隣の子供が動くと目が覚め…。 

そして、深夜2時に、やっとトントンの目が覚めました。 

朝、手術医が病室に来て、絆創膏を交換してくれました。顔は
全体が腫れ上がっています。手術のこと、傷の様子を話してくれましたが、
それが、とっても深刻な状態だったことが、やっとわかりました。
 

週末は、違う女医が様子を見に来たのですが、 一度絆創膏交換の後、
同じ絆創膏がその後2日弱も貼られたまま、栄養剤の投与と、定期的な
抗生物質の投与以外は、何も治療もないまま、空腹と、戦いながらの
トントンの病院生活でした。  を傷つけられた関係で、かむ食事が
出来なかった
からです。 

看護婦さん達は、旅行の最初の朝の災難、旅行のほぼ全行程を病院で
過ごす運命のトントンに同情を寄せてくれました。

退院も、私達の強い願いによって、5日目の夕方、なんとか許可
されましたが、
一旦、もう一泊を宣告された瞬間は、絶望しました。
…が、なんとかその日のうちに
退院。 

翌朝9時、そのまた翌日(旅行最終日)も9時に先生のところへ行きました。
最終日に抜糸。

黒い森に行ったのに、ドナウの源泉にも行きませんでした。病院のすぐ近所
だったのですが…。有名な鳩時計の産地なのに、その博物館にも、
時計専門のお土産物屋さんにも行きませんでした。

唯一あった自由な時間には、家族5人でちょっと公園で遊んだ後、
今度はシクランが熱を出して、半日寝込んでしまったからです。
結果、トントンが黒い森で出かけたのは、ドイツ中どこにでもある、
2つのチェーン店のみ。

その後、歯医者の義兄曰く、0.6mmの糸で縫ってあるというのは、
とっても贅沢なことだそうです。細い糸は高いらしい…。
抜糸したはずですが、1カ所残っていたから、それが判明しました。

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黒い森に行ってきました (その2)

ドア、開くでしょ、と文句を言いながらドアを開けると、
トントンが泣いています。
またシクランが悪いことでもしたのかしら、と思ったら、
血が頬から下がっています。
半端な擦り傷などではありません。異常事態です。

農家の飼う、大型犬にかまれたのでした。10時半頃のことです。

垂れ下がる血を拭い、トントンに深呼吸をさせ、落ち着かせ、
早めに昼食を食べてから出かけようと、机の上にも出ていた
チーズなど、冷蔵庫にしまうものを片付けている間に、
カクタ君が、病院の場所を同敷地内に住む農家の奥さんに聞いて来ました。

片道25分くらいの病院の受付に到着したのが、11時15分頃。
入院決定、手続き、抗生物質の投与など、あれよあれよと行われました。

実は、表面だけでも23針も縫う大怪我だったのです。
頬の3カ所の傷のうち2カ所は、3針ずつの怪我だったのですが、
一番下の傷は、斜めに15mmも入り込んだ深刻なもの。
傷は、食道に達していたため、手術前の絶食の後、麻酔が切れた後も
離乳食、おかゆ、酸味の少ない飲み物のみの生活が3日続きました。
足りないカロリーは、管から3日送り込まれ、8時間おきの抗生物質の
投与も退院までの5日間続きました。

耳の後ろもひどいもので、2列の大きな傷は、軟骨にまで達していた
のです。耳がひっついているだけでもありがたいこと。

幸い、その後の回復は順調で、何も問題なく、今はちょっとした擦り傷の
かさぶたがほぼ取れたような感じです。

手術を担当したのは、ギリシア人の小児外科医で、ユーモアのある
とても好印象の先生です。最初から、印象は良かったのですが、
手術後、食事が一般のものを認められるようになったときには、
パルメの質問「何を飲ませていいですか」に対して、
「何でも大丈夫、ただしアルコール以外!」

「何を食べさせてもいいですか」に対しては、
「何でも大丈夫、ステーキもいいよ」と、

離乳食の離脱と同時に、ステーキ解禁です。

 

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黒い森に行ってきました (その1)

週間の休み中、日で黒い森に行ってきました。
片道休憩なしで時間ちょっとくらいの距離です。

 

話せば長い物語。最悪の旅行とも言えます。
でも、神様に助けてもらったんだとも言えます。
旅行から戻って来た日は、家族全員元気でした。

 

実は旅行前、トントンは、胃腸の病気の回復後、足首に赤い斑点が
出来たのと、ルックの熱が出た事を理由に、出発当日、小児科に
行きました。赤い斑点は、その前の病気のときの薬の副作用など、
下手すれば、悪化して傷みを伴い、体中に斑点が広がるとか。でも
予防も対処の方法もなしとのこと。
ルックの方は、普通の風邪か何かのよで、一応旅行前だし、
といことで受診しましたが、こちらも、特に心配なし。
とはいえ、ルック、熱があるままの、旅行出発でした。

 

お昼前にこちらをやっと出発、インターでの昼食休憩をゆっくりした
ので、到着は夕方時半頃。森の中の農家ですが、道に迷わず
一発で到着。

 

翌朝のコーヒーを買いに、どこにでもあるチェーン店に買い物。
家族みんなで、あれもこれもと買い込み、宿に戻る。

 

その日は、荷物整理をし、ゆっくりお風呂に入って就寝。

 

翌朝、朝食後、子供達はすぐに外に出て、牛に草をあげたり、
トラクターに乗せてもらったりしました。
私達大人も、途中様子を見に外に居ましたが、出かける前に
朝食の後片付けもしなくてはいけません。

 

子供達は、玄関のドアが、外から開けられるのにもかかわらず、
チャイムを鳴らしては、ドアを開けてもらい入って来ました。
人目、人目、と順番に
もちろん、人目のときは、少し腹が立ちます。

 

続く

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